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また…

性懲りもなく、またラノベで現代文の授業をしてしまった…今回は、
彼女を言い負かすのはたぶん無理 (スマッシュ文庫)です。

沖縄の基地問題を扱っていたんですが、授業ではどちらか一方の言い分だけを扱うわけにはいかないので、
賛成・反対両方の側の意見をとりあげてなにが争点なのかを明らかにしていこうと思ったのですが、
そうするうちに、無性にディベートをやってみたくなったのです。

日本では競技ディベートってマイナーなのですが、勤務先が勤務先なせいか、あまり抵抗感はなかったですね。
自分の考えとは逆の立場から考えるというケースが出てきやすいので、思考の訓練として最適だと思います。

それで、ひとまず競技ディベートのルールを説明して、なにかいいモデルディベートはないかな…と思っていたら、
すげーいいのあるじゃん! みたいな。すみません、完全にノリです。
山崎将志さんの『残念な人の逆襲』でお手伝いをしたときの担当さんが作られた本なので、いろいろネタにもなりましたし。

作者のうれま庄司さんが、学生時代にディベート部に所属されていたそうで、
扱っている論題は楽しいのですが、論題の定義・争点の明確化・論証の手続きは、とてもしっかりと書かれています。
来月には3巻も出ますし、かなりおすすめの作品。ディベート界でも話題だという噂です。

目標は、生徒を引き連れてディベート甲子園に参加…って、いきなりデカい!?
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センター試験

14日・15日と、大学入試センター試験ですね。
国語は木村敏「境界としての自己」(論説)、井伏鱒二「たま虫を見る」(小説)
「真葛がはら」(古文)、孫宗鑑『西〓[「余」の下に「田」]瑣録』(漢文)という構成だったようです。

古文は毎年、受験生ごとに有利・不利にならないように
マニアックな文章が出題される傾向があるのですが、只野真葛とは…。

国学系の人ではあるので語彙的にもそう大きな問題はないのですが、
学校の授業がどうしても中古に偏っているので、いきなり文化・文政時代の文章を出されると、
対応するのが難しかった受験生もいたかもしれません。
ただ、文章が短くなって問題数も減ったようなので、平均点は高くなったでしょうか。

今日の問題を見てというわけではないのですが、学校の授業でもう少し江戸期から昭和期の文章を
扱えるようにしていきたいというのが、このところつくづく考えていることです。

現代の国語教育は、現代文はどうしてもここ十五年ほどの(中途半端に古い)評論が多くなるし、
古文はどうしても平安期の文章が多くなってしまいます。

けれども、たとえば中古を中心に扱うことには、
日本を代表する文化=平安期の国風文化という古典的でステレオタイプな見方が反映されていて、
これはかなり限界にきているように思えてなりません。

また、現代文で新しい論説に触れることも大事なのですが、大学に進学すれば、
文学研究や歴史研究の方向に進む人に限らず、少なくとも人文科学・社会科学関係であれば、
もっと古い時期に書かれた一次資料の言説を読みこなしていく能力が不可欠になってきています。

その意味で、今回のセンター試験国語の問題構成は、なかなか面白かったのではないかと思います。

ともあれ、受験生のみなさん。
これからが本番の時期なので、これまでやってきたことを信じつつ、体に気をつけて乗り切って下さい!

大橋流現代文 ~オツベル帝国の興亡2~

先日書きました、宮沢賢治「オツベルと象」の討議編をお伝えします。
(イントロダクションについては、6月2日の記事をご覧下さい)

3クラスで授業をやったのですが、こういう授業はどこまで自分から話してしまいたいのを我慢するかだよなぁ…と、つくづく。
生徒から意見がなかなか出てこないときに、こちらから説明してしまえば楽なんですが、
それをやってしまうと生徒の思考が止まってしまうわけです。

マイケル・サンデルの「ハーバード白熱教室」みたいにモラルジレンマがはっきりと出ている問題提起なら意見がでやすいんですが、
あのやり方は、参加者の側が問題点を引き出す余地が狭いんですよね。

マスコミの人たちは、言説をある程度単純化させるのも仕事なので、新聞とかテレビではああいう議論が受けるんでしょうが、
いくら下っ端とはいえ論文を書いている身としては、問題意識があらかじめ限定されるという思考は致命的な欠陥なわけです。
だから、思考の訓練としては熱血教室のやり方はありなんですが、手放しで称賛するというのは、逆に危険な感じがしますね。
「考える」というのはそんなに単純じゃない、というか、もし学生があのやり方を「考える」という行為だと受っていたとしたら、それはかなり問題があるわけです。

さて、「オツベルと象」です。

だいたいどこのクラスでも最初にあがったのは、「オツベルが独裁者だ」という意見でした。
たしかに、「オツベルを国家に置き換えたらどのような特徴があるか」という問題設定なので、これは出てくるよなあ…と思いました。
けれども「独裁」というのは、国家が置かれうるあるひとつの状況を指すわけで、「国家」としての「特徴」そのものではありません。

そこで当然、オツベルはなぜそのような状況になったのかな? …という質問をすることになるのですが、
それは本文でオツベルが「頭がよくてえらいためだ」と書かれていると、生徒が指摘してくれます。
このあたりは、さすがに高校生ですね。

ここからが本題というか、本当の勝負です。
この「頭がよくてえらいためだ」という表現は、この小説における権力構造のうち、かなり重要な問題に接近していると思います。
つまり、「頭がよ」いというのがなぜ「えらい」という言葉、この小説でオツベルが持った「権力」に結びついてしまうのか、ということです。

生徒に身近な話では、生徒会長や学級委員長の選出でしょうか。
どういうわけか、成績のいい優等生がそういう仕事を押しつけられる(笑)
そんな話をしていたら、「ウチの学校は候補者の人脈だよー」と生徒に真顔で言われて、
思わず「日本型選挙かっ!」とツッコミをいれてしまいました。
でも、中学のときはどうだったかと聞くと、やっぱり成績の良い奴が選ばれてた…とのことです。

それから、少し遠いところでは、日本の官僚制度や、中国の科挙制度でしょう。
つまり、「頭がよ」い人が「えらい」という状況におかれる、という問題には、オツベルとその周辺の人々や象とのあいだにある権力制度(システム)の問題があるわけです。
ここは、もう少し時間があれば、もっと突っ込みたかったですね。
一方、ここで「頭がよ」いとされているのがどういう内容を持っているのかという、概念の問題に入っていったクラスもありました。
これは、国語の授業としては嬉しいところですね。

その他に挙げられたオツベルの「国家」としての特徴としては、
オツベルが白象を働かせるときに「税金」が高いからという言葉を持ち出す問題や、
オツベルが白象を「鎖」でつなぐという問題が、やはり出てきました。

オツベルが「国家」だとすれば、国家の統制下に組み込まれた象を「鎖」でつなぐということは、
「国家」が人民を自国の中に居住させておく力ということに置き換えられます。
特にウチの学校は帰国生が多いので、パスポートやビザというのが、どのような権力からできあがっているかという問題は、
かなり身近なこととして考えられたようです。

けれども、その中で特に盛り上がったのは、
「オツベルを国家に見立てるとしたら、象はどういう存在なのか」
「象たちがオツベルに仕掛けたのはどういう闘いだったのか」という話題でした。
これは少し本題とずれるのですが、面白いところを突いていると思います。

ネットで「オツベルと象」という作品を検索すると、必ず出てくるのが「かわいい象さんの復讐劇」というコピーなんですが、
白象を助けるために他の象たちが立ち上がるという物語を「復讐」と規定していいのか、というのはかなり問題があります。
このコピーについてちらっと話をしていたので、生徒がそこから考えたのかもしれません。

たとえば、オツベルを資本家・強大な権力者ととると、象たちが起こしたのを「革命」とつい呼びたくなるのですが、それは違う!と生徒の弁。
つまり、「革命」というのは国家の内部で支配されている者が起こすものなので、象たちが起こしたのは対外戦争であって「革命」ではないというのです。
話はさらに、オツベルを「国家」、白象を「植民地」、他の象たちを「連合国」と置き換えると、この構図って完全に太平洋戦争の日本・朝鮮(中国)・連合国の関係だよね!ということになり、
象さんたちの攻撃に正当性があったのか? ある意味でオツベルは被害者なのではないか…という方向に進んでいきました。

ここまでいくと象徴論であり、根拠のない構造論にもなりかねないのですが、今回はそもそも問題設定が象徴論だからいいか…とその話に乗ってみたところ、
植民地とはなにか、国家が植民地をもつとはどういうことか、というポストコロニアル批評みたいな議論になったので、作品からはやや離れてしまいましたが、かえって興味深かったです。

私の授業のアバウトさがうまく機能すると、授業がときどきこういう方向に向かってくれます。
論文を書くときや、テストの問題を解くときには、分析対象になるテクストから離れてしまうとまずいのですが、
現代文の授業の目的を「考える」ということに置くときは、むしろこれくらいのほうがいいのではないかというのが、最近考えているところです。
このあたりは、意見が分かれるところですね。

次回は、萱野稔人の「国家」論なので、いよいよ本題です。
個人的には、萱野さんの「国家権力の源泉は暴力の行使にある」という考え方には反論があるのですが…どうなるでしょうか。

大橋流現代文 ~オツベル帝国の興亡~

「大橋流現代文」では、私がいつも行なっている現代文の授業を、少しずつご紹介していきたいと思います。

基本的なスタンスは、「生徒がじっと教師の話を聞くだけの『講義』形式でやる現代文なんてつまらない!」

教師が一方的に話すのは『講義』で、生徒が参加するのが『授業』である。これは、塾講師を始めて4年目くらいに、先輩から教えていただいたもので、今でも私の『授業』に対する基本的な考え方になっています。
私の場合、1時間のあいだ、とにかく生徒にはテキストからいろいろなことを考え、書いてもらい、それを自分の言葉で語ってもらい、他の人の考えとぶつけてもらう。そういう場を提供することで思考と記述、読解、スピーチの訓練をしてもらえたら…というのが理想なのですが、なかなか難しいですね。

さて、今回は
高校2年で読む宮澤賢治『オツベルと象』」です。
この作品は、中学生の教科書(教育出版)にも採録されているので、生徒によっては2回目になりますね。ネット上にも、先生の指導案なんかが転がっています。
ただ…

登場人物をまとめてみよう♪
白い象さんの気持ちがどうだったか考えてみよう♪

…なんていうのは、大橋流ではアウト!です。

「考えてみよう」といいながら結局いくつかの答えが用意されてしまっていますよね。
たしかに「国語」という教科の性質上、これはとても重要なことです。
基本的にはまず、9割くらいの人が納得できる読みを、本文から読み取られる範囲で拾いあげていく。それを生徒に身につけさせるのが、現代における「国語」という教科ですし、実際私も、そういう授業はやっています。
「国語は行間を読むんだ!」とか「文章解釈なんて人によって違う」といった文学教育の枠組みは、一般的なイメージとして今でも残っているようなのですが、「国語」という教科に向けられるかなり古い思い込みです。

一方で、テキストを論理的に読んでいけばたしかに立証できるんだけれど、間違なく反論がでてきて、最終的な結論は留保せざるを得ない…特に詩や小説では、こういうレベルの読解が必ず出てきます。そのとき初めて、自分の考えをどう述べるか、それを他者にどう説明するかということが問題になってくるわけで、そのレベルを体感してほしいというのが、私の現代文の目指すところなのです。

そこで、今回出したお題は
オツベルをもし『国家』と置き換えたら、彼にはどんな『国家』としての特徴があるのか、箇条書きでいいので挙げられるだけ挙げてみよう!」というものです。

このテーマ設定に、首を傾げる方もいらっしゃるかもしれません。なぜならこの「オツベルと象」は、賢治研究者のあいだではだいたい4つのラインで読まれているからです。

1.賢治の個人的な思想との関係
2.白い象をめぐる仏教の問題
3.資本主義と共産主義の対立
4.あくまで「童話」としてこの作品を読む

ここで「国家」という問題設定をしたのは、一つには、この作品を萱野稔人『国家とは何か』を読む前の導入として扱っているためです。またもちろん、白い象を働かせるためにオツベルは「税金」が高くなったということを口実にするわけですし、象たちが起こした事件を「可愛い象さんたちが起こした壮絶な復讐劇」という童話の枠組みで読むのではなく、オツベルという権力者に対して象たちが起こした革命だったと読めば、作品の内部に「国家としてのオツベル」という文脈は内在されています。

しかしそれ以上に、たとえば共産主義―資本主義という既存のフレームから読むのではなく、もう少し一般的な権力の問題に押し広げたほうが、この作品からはより面白い要素を引き出せるのではないかと考えました。その上で、オツベルという個が持った権力と、国家という共同体が持つ権力にはどういう差異と共通性があるのか、権力はどのように構成されているのか…といった問題を、高校生が考えるきっかけになれば、萱野さんの『国家とは何か』を批判的に読むことも可能になると思ったわけです。

今日の授業でやったのはその1時間目。
まずは、全文を読み、それから初読の感想を話しあいます。
あとは、象たちが碁を打っているシーンで、彼らはどうやって碁石を持ったのか! とか、
オツベルが「くしゃくしゃに潰れ」たというのはどういう状態なんだ! といったツッコミを入れたとこで終わってしまいました。
個人的には、杉田智和さんが朗読したCDを聞いてネタにしたかったんですが、注文が間に合わず…。

宿題として、次回までに「オツベルをもし『国家』に置き換えたら~」を挙げられるだけ挙げてくるように言ってあるので、次回がどういう展開になるか、楽しみでもあり不安でもあり…といったところです。
私の授業は、生徒次第でどうにでも動く授業ものなので、ライブ感はありますが、大失敗することも?!

3クラスでやっているので、次回授業の結果は、それが終わってからご報告したいと思います!



プロフィール

大橋崇行

Author:大橋崇行
文学、ライトノベルなどなどについて、徒然にかいています。
プロフィールの詳細やコンタクトにつきましては、個人HP(→「泉月亭」)をご覧下さい。

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