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宮崎駿『風立ちぬ』の〈現実〉

ブログを完全に放置してしまいました…申し訳ございません。

久しぶりの記事は、宮崎駿『風立ちぬ』について。
せっかく見たので、考えたところをつらつらと書いております。

例によって長いので、もし興味がありましたら続きをクリック下さい。
また、かなりのネタバレも含んでいるので、作品をご覧になったあとに読んで頂けると幸いです。

後ろのほうがやや中途半端ですが、その点はエッセイということでご容赦を(笑)
それでは、よろしくお願い申し上げます。

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細田守監督作品『おおかみこどもの雨と雪』

 またずいぶん久しぶりの更新になってしまいました。申し訳ありません!

 さて、今日はタイトルの通りです。
 いつも、研究はやるけれど評論はやらない! と言い張っているのですが、今日映画を観てあまりに衝撃を受けてしまいましたので、たまにはという感じでしょうか。
 以下、注意点です。
① 公開されたばかりの作品なので、できるだけネタばれにならないよう細心の注意を払ってはおります。ですが、気になるという方はぜひ先に本編のほうをご覧下さい。絶対に損はしないと思います。
② 少し真面目に書いたので、文体を変えてあります。いつもの論文よりやたらに強気なのは、どうも評論的なものを書くとこうなってしまうらしいのです…(私が評論をやらない理由の一つでもあります)
③ それから、長いです(笑) 長文が苦手な方は、華麗にスルーして下さい。

 それでは、もしよろしければ続きをどうぞ↓

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男性視点の少女小説

セイ@様の「果てしなき空の向こうへ」(http://soranomukoue.blog50.fc2.com/)を、リンクに加えさせて頂きました。
今後ともよろしくお願い申し上げます。

このところ仕事のために、集英社コバルト文庫を大量に読み続けております。
ネット上などでは「ライトノベル」という扱いをされることが多いのですが、
文体や小説の作り方などを見ていると、特に90年代半ばくらいまでは完全に別物ですね。

たしかに、表紙に漫画的なイラストがあり、文庫本の版型で出ている点はラノベに見えるのかもしれませんし、
ここ数年の新しいものは、ラノベ化がかなり顕著に見られるように思います。

ただ、少女小説は明治期から、吉屋信子や尾崎翠を経て、昭和・平成に至る流れがあるわけで、
これは言ってみれば、男性の書き手が少女達に物語を供給してきた状況から、
女性達がみずからの物語を獲得していった歴史です。
その歴史性を無視して、安易にライトノベルとしてしまうのはどうかな…と。
ライトノベルは基本的に少年小説の系譜なので、やはりその辺りは区別して考えたほうがいいようにも思います。
(…こういうネタはブログではなく、論文で書かないといけませんね)

さて、そのなかで少し気になったのが、樹川さとみ『グランドマスター』(コバルト文庫、2007)です。


この小説は、「あとがき」で著者の樹川さとみさん自身が指摘しておられるように、
徹底して男性キャラクターからの視点で書かれており、ヒロインであるシアシーカ(シーカ)からの
視点で書かれた部分がありません。
この点は、ずっと少女小説を読み続けてきたなかで、かなり驚きました。

少女小説では伝統的に、主人公を少女に設定し、その視点から小説を書くのが基本となっています。
(ラノベの主人公が基本的に少年で、その視点から書かれているのと同じですね。
最近では、女性視点のラノベもそろそろ出てきていますが…まだ少し難しいかもしれません)
もちろんここには、対象読者として設定されている少女たちと同じ年代の主人公を作り、
その視点から物語を語り出すことで、読者の共感を呼ぼうという意識が見え隠れしています。

問題は、なぜ男性視点の書き方が可能になったのか、でしょうか。
なぜなら、少女小説で男性視点の物語を書くということは、おそらく、
このように「共感」を誘おうとする小説の書き方を、いったん拒否する必要があると思うからです。
実は私は、読者が作中人物に「共感」して小説を読むという発想は、少なからず疑っているのですが、
多くの編集者や作家の中では、小説には読者の「共感」が必要だという考えが根強く残っているように思います。
ですから、「共感」を得るという書き方を拒否した時点で、本にする企画が通らない可能性が高いのです。

もちろん、少女小説から外に出れば男性視点の小説など数限りなくあります。
ただ、男性視点で書かれた少女小説は、書き方としてかなりBLに近いものがあるでしょうか。
考えてみれば、BLが同人誌や書店の隅に置かれていた状況から離脱し、
より多くの読者を獲得するようになった時期と、
このように男性視点の少女小説が書かれるようになった時期とが、
少なからず重なっているような気もします。
ですから、少女小説のBL化という問題は、ある程度考えてみてもいいかもしれませんね。

ただこの場合、女性読者がどういう観点でBLを読んでいるかが問題になるので、男の私ができるかどうか…
女性読者がBLの登場人物に「共感」しながら読んでいたら、これまで書いた問題意識が崩れてしまうんですよね。
まさか、ないだろうとは思うのですが…。
実は、身の回りに腐女子の方が少ないのですが、誰かに聞くしかないかなあ…。

うえお久光『紫色のクオリア』

紫色のクオリア (電撃文庫)です。
今さらな感じもあるのですが、ラノベの論文を書くときに使いそうなので、読んでみました。
この小説、すごいですね! 久しぶりに衝撃的なラノベに出会った感じです。

いろいろなSFのオマージュになっているという知識的な側面の具体は、物語として論じる上ではあまり意味のない情報なので省きますが、内容としてはいわゆる「クオリア問題」を扱っています。
たとえば、2人の人間が、ある対象を「赤い」と呼び、それを根拠に対話を成立させていたとしても、その2人が対象を同じものとして認知しているかどうかは分からない。もしかするとそのうちの1人は、同じ対象を一般に「青」と呼ばれている色で認知しているかもしれない。
認知をめぐる問題ではきわめて基本的な議論なのですが、それを認知だけでなく身体の問題にまで広げて、ラノベらしさを保ちつつSFに昇華したところが、作者であるうえお久光の巧みさでしょうか。

特にラノベらしさの根拠となっているのが、これをヒロインの毬井ゆかりの問題として、キャラクターに乗せている点だと思います。ラノベにおけるキャラクターと物語との関係については、一昨年の日本近代文学会秋季大会で話したのでここでは繰り返しませんが、この作品のように、(書き手自身の意図云々でなく、出来上がった作品の問題として)東浩紀のいわゆる「データベース理論」から積極的に逸脱していくものがもっと増えていくと、ラノベの可能性が広がると思うのですけどね。

ラノベに少し抵抗感のある人でも入りやすい作品なので、ぜひお試し下さい。

ラノベ道 Web版 ~片山憲太郎『紅 kure-nai』~

校正終わったー。
久しぶりに商業誌に書きましたので(いちおう共著?)間もなく正式に告知できるかと思います。今しばしお待ち下さい。

さて、「ラノベ道」というタイトルをつけておりますので、たまにはラノベの話を。
片山憲太郎『紅 kure-nai』です。

illust.jpg
(集英社スーパーダッシュ文庫HPより http://dash.shueisha.co.jp/-kurenai/index.html#b01

アニメ化され、今月コミック版の7巻も発売になりましたが、どうもラノベとしてはマイナーな気が…気のせいでしょうか?
環さんいーよ! とか言っても、なかなか通じる人がいない…あ、そのセレクトがあかんのか。でも、夕乃さんいーよ! とか言ったら、なんかすげー嫌われそうだよなあ。

さて、この作品についてはすでに、『ライトノベル研究序説』で、文学の〈制度〉にしたがって読めるラノベだと評価をしました。
だから高く評価しているというわけではないのですが、ライトノベルというジャンルを考えるうえで、かなりいろいろな問題を示している作品だと思います。

まずその一つとして挙げられるが、少年漫画とライトノベルとの関係という点でしょうか。
ライトノベルは基本的に、男性読者をまずは対象として考えます。そのため、そういった読者が感情移入をして読めるように、男性主人公を置くことが多くなります。このことが、ボーイ・ミーツ・ガールの物語が多くなる理由ですし、また、少年漫画とライトノベルが接近しやすい要因ともなっています。
特に集英社スーパーダッシュ文庫は、『ジャンプ』との接続や、かつての新書版レーベル『ジャンプノベルズ』との関係もあるので、そういった傾向が強いようです。

一方で、では少年漫画を小説として書けばそれがラノベになるか…といえば、実はそれは違うんですよね。
「すべてのオタクは小説家になれる!」とか、「データベースで小説を書ける!」というのは、ラノベのハウツー本の売り文句としては分かりやすいんですが、ちょっとでも文学理論をかじったことがあれば、それは無理だとすぐに気づきます。
ここから先は技術的な話とか、小説理論の話になるので、どこかで詳しく書かないといけないかな…とも思うのですが、端的にいうと、ラノベと漫画とでは物語の仕掛け方やキャラの作り方と配置、視点の置き方などなど、かなり大きく違いがあります。
某人気ラノベのコミック版が異様なほどつまらない…という例を挙げるといいのですが、営業妨害になりそうなのでやめましょうね(すでになってる?!)。
どんなに一口に物語といっても、小説、映画、漫画、ドラマ、ゲーム…と、メディアが違えば、作り方は違うわけです。

それで、『紅 kure-nai』なんですが、これが非常に上手く少年漫画のストーリーをラノベにしています。
実は、いわゆる少年漫画の物語様式とは少し異なるところがありその点はしっかりとラノベなんですが、それでも初めて読んだときこの点には非常に驚かされました。
『ライトノベル研究序説』出版の母体になったライトノベル研究会でも、『集英社スーパーダッシュ文庫』で出る作品が、他のレーベルに較べて小説として質が非常に高いというのはたびたび話題になるんですが、その中でも、頭ひとつ抜け出た作品だと思います。

実は私、ライトノベルから離れている時期が長かったもので(大学生~院生くらい?)ライトノベルの論文を書くことになってから一気に読む量を増やしたのですが(このあたりの事情は、下の記事からリンクを張ってある「模索舎月報」にも少し書いてあります)、ライトノベルでも論文を書けるという自信を持つことができたのは、この作品のおかげですね。その意味でも、思い出深いというか、非常にありがたかったシリーズもあります。

そんなわけで、この作品についてはもう少し問題点を整理してみたいという気持ちもありますので、続きは次回「ラノベ道」で。
プロフィール

大橋崇行

Author:大橋崇行
文学、ライトノベルなどなどについて、徒然にかいています。
プロフィールの詳細やコンタクトにつきましては、個人HP(→「泉月亭」)をご覧下さい。

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